『人間はいつ死ぬかわからない。生きている間に自分の納得することをやりたい』
という思いに至り、志士として家を飛び出す決意をするというものだろうね。
医学や栄養学が発達していないこともあって、半分以上が大人になることなく死亡したこの時代。
同時に、当時はやっていた麻疹とコレラを持ち込んだのが、外国人であったこと。
このことで、栄一は外国人への憎悪を募らせると同時に、自分もいつ死ぬかわからない中で、納得できることをしたいという思いに至ったのだと思う。
それが吉田松陰の言っていた『草莽の志士として活躍すること』
もちろんこれから破壊活動もしていく中で、いかにして栄一が攘夷が不可能であることを知り、慶喜にも仕える中で、
『どのように日本を立て直すか』
という考えが成熟していくのだろうけど、まだ若く、単純な破壊行為しか思い浮かばない栄一。
未熟さを感じさせると同時に、今後の成長がどうなるか楽しみ。
方や徳川慶喜は謹慎を解かれ、幼い将軍家茂の後見職になり、実質的に幕府の実権を握ることになるんだけれども。
諸藩からは突き上げられ、天皇家や公家からは『はよ攘夷せよ』と締め上げられる日々。
平岡円四郎の言ったとおり、とんだ貧乏くじだったのは確かかな。
それでも慶喜は『攘夷のためにはまず、天皇家、幕府、雄藩が一致団結する必要がある』と思って公武合体を進めていくのだろうけれど。
その中で円四郎が水戸藩士に暗殺されてしまうわけだから、円四郎も貧乏くじを引いてしまったような気がする。

