その最期は、親友に裏切られて毒を提供され、自身を恨んだ妻に毒を盛られ、最後は息子を粛正されて恨みに思った姉の北条政子に、解毒剤を捨てられ見殺しにされるという最期だった。
それでもやるべきことがまだあると、苦しみながら這うその最期は、切れ者でも天下の大悪人でもなく、一人の人間だったようにも思える。
ちょうど物語の折り返し地点で源頼朝が最期を迎えていたが、ドラマでは和田義盛と畠山重忠が
『あの人が死んで悲しむのはほんの一握り』
とこぼしていたが、義時もまたそのような最期をたどっていったといえよう。
新しい世の、新しい国を作り上げようと躍起になっていたその先には、妻とも、親友とも、そして姉とも心が離れてしまった一人の人間しかいなかった気がする。
さて、物語の最初は、承久の乱で後鳥羽上皇に反旗を翻すことになった鎌倉御家人たちの戦いから始まることになる。
ここで鎌倉の総大将として泰時が選ばれたあたり、彼も心身ともに成長したように思える。
和田合戦のヒントから考えて、家々を取り壊していかだにするあたりはよく学んでいるといえようか。
対して、後鳥羽上皇が前線に出なかったこと(出ていたらそれはそれで歴史が変わっていたのだろうが)、および
『自分を担ぎ上げようとした奸賊を打ち払ったこと、ご苦労であった』
というのは明らかに見苦しい自己弁護というべきものだった。
逆籠に乗せられて罪人として島流しに合うあたりは、当然のことだといえようか。
さて、義時の妻・のえは兄を見殺しにされたことや、自身の息子を跡取りにしたいという権力欲から、義時に毒を盛る。
史実でも義時の死の際に、妻が毒を盛ったといううわさが流れるぐらいだから、これは史実を踏まえたエピソードといえようか。
一方で、三浦義村も義時の毒殺のために毒を提供したという事実を、のえをかいして義時は知る。
無二の親友であった彼に完全に裏切られた時の思いはいかばかりだったか。
義村は、才能も美貌もはるかに劣っているはずの義時がトップに上り詰めたことに嫉妬していたことを明かす。
かなり早い段階から、義時と吉村の心は離れていたのかもしれない。
そして、北条政子。
まさか頼家の最期の真相を、この時点まで打ち明けていなかったとは思わなかった。
病ではなく義時が命じて粛清した、となれば、政子も許すことはできなかったのだろう。
結局、武士の世と鎌倉政権盤石化のために血で血を洗う粛正劇を繰り返してきた彼の最期は、親しい人から次々と裏切られ、見殺しにされた最期であったといえる。
北条小四郎義時、62歳。
史実の彼の死因は、脚気と暑気だったと伝わる。

