2023年09月17日

欲望の果て ~NHK大河ドラマ『どうする家康 第35回 欲望の怪物』感想~

秀吉のもとに下った家康は、秀吉とともに、戦なき世を作りたいという思いを新たにする。
しかしながら秀吉は
「戦がなくなったらどう武士は食っていくんじゃ」
とつぶやく。
おそらくこれが、のちの朝鮮出兵の伏線なのだと思うが……。

今回の秀吉は、陽性と陰性の両面が同居しているだけに、なおさら不気味さを感じる。
どうする家康 欲望の果て.jpg

そして、秀吉と家康の和睦の証に送り込まれた秀吉の母・仲。
史実では孝行息子として有名であり、戦前の教科書でも模範とされていた秀吉なのだけれども、
『城の狭い片隅に追いやられ、作らない野菜ばかり食べさせられている
自分は幸せなのかどうか』
とぼやく仲。

息子を『欲望の怪物』と呼ぶ母にとっては、晩年の秀吉の愚行が見え見えだったのかもしれない。
ひたすら欲望のままに動くモンスターと。



そして家康は、かねてから敵対していた真田との和平交渉に臨んだり、占星術の件で石田三成と意気投合したりする。
後に真田とも三成とも敵対していく家康だけど、そのプロセスはどのように描かれていくのであろうか。
正直予測不能な気がするのだが。

晩年の秀吉の愚行に愛想をつかした家康が豊臣に反旗を翻し、それを三成と真田が止めようとするパターンだろうか。


いずれにしても秀吉の代で天下一統は実現するのだけれども、親類縁者の少なさや秀吉の愚行も相まって豊臣政権は短命に終わる。
それをどのように描いていくのだろうか。
                   

2023年09月10日

石川数正の本当の思い ~NHK大河ドラマ『どうする家康 第34話「豊臣の花嫁」』感想~

徳川を出奔し、豊臣方についた石川数正は、今でいうなら追い出し部屋に入れられ、くすぶる生活を強いられるようだが……。
徳川重鎮であった自分があえて去ることで、家康に天下人としての器のある秀吉につくよう促すのが彼の本当の狙いだった、と家康が知るのが今回の肝か。
ともあれ、最終的には松本城主になるわけで、それほど数正は冷遇されていなかったと思うが。

どうする家康 石川数正と瀬名の思いを知る家康.jpg

なかなか自分に屈服しない家康に対して、秀吉が妹の旭と母・なか(大政所)を送り付け、対決を避ける姿勢を見せるのが、家康屈服の遠因だと史実では言うけれど……。
さらにさかのぼると、ドラマでもあった天正地震が大きな原因ではないかと僕は思う。
当時としての天災は、為政者の徳がないことによる天罰だと考えられていて、特に秀吉が中心に治める畿内はその被害が激しかった。
その神罰に秀吉が動揺したというのが大きいのではあるまいか。



史実における秀吉の妹・旭の記録はほとんど残っていないが、さすがは百姓の出らしく、態度物腰は粗野だが明るく振舞うという形で今回のドラマでは描かれたよう。
それでも長らく付き添っていた夫と離縁させられ、本来は悲しかったようで。


そして大政所を人質として送り付けられた家康は、決戦か屈服か、最後の決断を迫られる。
最終的には側室の於愛の方の諭しで、亡き正室の瀬名、そして石川数正の本当の思いを知り、上洛することに決める。
ともあれ秀吉は天下を取ることになるものの、親類縁者の少なさや、晩年の愚行から人心が離反していき、
『天下は回り持ち』
という風潮がまた強くなる結果となる。

それを家康自身が終止符を打つというのは、皮肉というしかない。
                   

2023年08月27日

孤立の果てに ~NHK大河ドラマ『どうする家康 第33回「裏切り者」』感想~

今回の『裏切り者』とは、織田信雄のことを指していたのかと思ったけれど、石川数正のことであったか。
どうする家康 石川数正.jpg

小牧長久手の戦いで徳川家康が大勝利をかざした後、信雄は降伏。
秀吉と決戦するか、それとも臣下となるか迷う徳川方。
血気盛んな家臣たちが主戦論を叫ぶ中で、何度も秀吉と交渉してきた数正は、秀吉の臣下になることを進言。
そのことで家中から孤立した数正は出奔し、秀吉の家臣となる。

もう家康にはついていけないということなのか。


秀吉が建てた大阪城は
『コンスタンティノープル以東最大の城郭』
と言われていたから、その経済力。
そして最終的には関白になるその交渉力。
数正は秀吉の実力には家康はとても及ばないと考えていくようになったようだが、それは当然だといえる。
『人たらし』と呼ばれ、人を操るためにはバカにもなる秀吉は、まさに人を引き付ける力の持ち主であったといえようか。(晩年はどうもそうではなかったようだが)
領地を守らぬ主君が離反されていく中で(高天神城を守らなかった武田勝頼も家臣に裏切られたという)、自身の食い扶持と国を守るのは当時としては当然のことだといえるが、秀吉はやがて天下を取り、日本を一統すると数正は見ていたようだ。
そのあたりの先見性はさすがか。


家康と会って話をする中で、
『自分が天下を取って平和な世を作る』
という家康の意志が揺るがないことを知った数正は、口だけの忠義を誓い、そして徳川家を出奔する。
瞬きをしないその表情で、何を考えていたのだろうか。


秀吉のもとにはせ参じ、名を吉輝と改めた数正は、松本城主10万石の大名となり、1593年まで生きたという。